2010年10月22日金曜日

Inside-out

去年の暮れにiPhoneを買って以来、
すっかりアップルの信者になってしまった。
iPadも買ったし、Macも2台持っている。

ちなみにMacとはアップルのパーソナルコンピュータのこと。
appleの世界ではPCとは他社製品のことを指す。
MacはあくまでMacなのだ。

さて、そのアップルが今度はMacBookAirを出した。
愛用のMacBookProは大のお気に入りだが、如何せんデカくて重い。
出張にちょっと持って行くのは何かと大変なのだ。

その点今度のAirは超薄型で軽量。
それでいてProと同等の性能だという。
しかも写真で見る限り、もう、たまらないくらいかっこいい。
http://www.apple.com/jp/macbookair/

いけない、いけない、と思いつつ、でも見るだけだからと、
昨日オフィスから歩いて5分のアップルストア銀座店に向かった。

「まだ入荷していないんです、近日中としか言えません。」
というスタッフさんに、なぜかホッとした。

オフィスに戻って仕事をしていると先ほどのスタッフさんから電話が。
「入荷しましたよ!取り置きはできないので、ぜひ見に来て下さい。」

あああ、こんなにすぐ入荷されるなんて。
まだ心の準備ができてないのに。
困った、困る必要は全くないのに困ってしまった。
困りながら、見に行ってしまった。

店に入るなり軽いめまいがした。
写真で見るより数段かっこいい。
思った以上に薄い。その薄さに驚く。
手にしてみると軽い。iPadよりちょっと重いくらいか。
これなら出張の時もかなりラクになるはず。
そして、アルミ削り出しのボディの存在感。

圧倒的にかっこいい。
ライトウェイトスポーツみたいだ。
ランチャストラストをイメージしてしまった。

「ほしい・・・」

いかん、絶対にいかん。7月にProを買ったばかりじゃないか。
ちょっと重いくらい我慢しろよ。体力がつくじゃないか。
今朝も数千円の支払いの件で嫁と口論したばかりじゃないか。
10万円の品物を衝動買い出来る身分じゃないだろ。
ダメダメダメダメ−!!!!

今日はなんとか理性が勝ってくれた。
店を出た時には動悸が激しかった。
当分アップルストアに近づかないする。(でももう一回見に行きたい。)



さて、ここから本題。



今日改めて思った。アップルって会社は本当にすごいと。
何がすごいかというと、イメージに一分の隙もないってこと。
特に店員さんがすごい。

プロダクト、TVCM、サイトなどから受ける印象と、
アップルストアのスタッフから受ける印象がまったく同じなのだ。

ん?って思うことがひとつもない。
これは本当にすごいことだと思う。

例えば、レストランやホテルでも、
スタッフの対応や一瞬の表情に違和感を感じることはある。

例えば、鉢植えの花びらが床に落ちているのに素通りするスタッフや、
新人スタッフの接客を見ている先輩がみせた一瞬のしかめ面だったり、
クレーム客にひたすらペコペコしている姿だったり。

そういうのが全くない。まるでディズニーランドのようだ。

同じような印象をもつのはパタゴニアの直営店。
それとスタバ、ユニクロ、IKEA、あとは昔の東急ハンズか。

それらの共通項は、二つある。

一つは商品知識が豊かなこと。
彼らは何を尋ねてもその場で即答する。しかも、
ラクラクと答える様子には余裕を感じる。

もう一つは、顧客に媚びないこと。
彼らはお客に尽くしているという感じがしない。
彼らは滅多なことでは「申し訳ございません」とは言わない。
それが気持ちいい。

彼らはよく勉強している。
そして、自社と自分の仕事に誇りと自信を持っている。
だから信頼を勝ち取れる。

企業の理念や哲学が、彼らの内部で、彼ら自身の考え方と一体化され、
矜持となり、モチベーションとなっている。

マニュアルを忠実に再現しているのではなくて、
彼ら自体の内面が自己表出している。
だからこそとても自然な対応ができるのだろう。

そこに感じるのは、強烈な自社への「共感」だ。
その「共感」が内から外へにじみ出ている。

成長を続ける企業には必ず内部に「共感」がある。
それがあって初めて外部(顧客、外注先、株主等)との共感が生まれる。
必ず「内から外へ」の流れが先にある。逆はない。

アップルストアにいる時の心地よさは、
その共感に身をゆだねる感覚なのだ。

そういう場所には磁力が発生するらしい。
自然と人・モノ・金が集まってくるようだ。

2010年10月15日金曜日

星の王子さま

サン=テグジュベリの「星の王子さま」を
最初に読んだのは高校生のときだったかな。

「いちばんたいせつなことは、目には見えないんだ」

キツネの台詞が胸に響いた。
響いたのに意味がわからなかった。
そんな言葉もあるんだなと思った。

今にして思う。
その時はまだ目に見えない大切なモノを大切にしてたんだな。

昨日久しぶりに読んでみた。
心がぶるっと震える感じがした。
今日もう一度読んでみた。
なんかちょっとわかった気がした。

その感じはとてもここで表現できない。
言葉にしちゃったらそれでもう違うものになってしまいそうで。

たいせつなことは目には見えないんだ。

2010年10月14日木曜日

オフィス“キレイ”化計画

オフィス“キレイ”化計画を実施して約2月たった。
ずいぶんと変わったもんだ。

机の上には書類が山と積まれ、パンフレットが箱から溢れ、
足下には紙袋が散乱し、PCの画面は誇りで薄汚れている。
以前はそんなオフィスだった。

一念発起してキレイにすることにした。最初は一人で勝手に始めた。
大量の書類をシュレッダーにかけ、書籍やパンフレット類を捨て、
整理棚を買って、書類はファイリングした。

その辺からメンバーに変化が起こった。
折角だからもっとキレイにしたい、という気持ちが起こってきたのだ。
いろいろなルールができた。

朝一番で机の上を雑巾で拭くこと。
PCと電話以外は机の上に何もない状態にして帰ること。

観葉植物をおいたり、アロマの香りがでる装置をおいたりした。
今度は壁に絵を掛けようという話になっている。

今ではオフィスを覗いてくれた方たちが、
「すごくキレイですね」と言って下さるまでになった。

そうなるとちょっと自慢したくなったりもする。
(だからこのブログを書いたりしてる)

変化はそれだけじゃない。

たった3人の会社だけど日報を書くというルールができた。
その日の仕事の内容や、感想、思いついたアイデアなどを書いて、
メーリングリストにアップする。もちろん僕も書いている。
朝会もミーティングの内容も変わった。

要するに、自分たちの会社を“愛でる”という感覚が
何かに付けて出てきたのだ。

コミュニケーションの内容も変わったし、回数も増えてきた。

自分たちが何者で、どんな存在でありたいのか、
自然にそんなコミュニケーションを繰り返している。

掃除しただけなんだけど、
たった2ヶ月でずいぶん遠くまで来たような気がする。

自分たちを愛する気持ちを持つこと、
やっぱりこれが基本なんだなあ。

それは実に簡単なことだった。
愛する、というアクションをするだけのことだった。
掃除をする、というアクションは、愛することとイコールなんだ。

2010年10月13日水曜日

銀座のおばちゃんの店

よく昼飯を食う店が銀座5丁目にある。
「勝」という小さな定食屋だ。
僕らは「おばちゃんの店」と呼んでいる。

鯖の塩焼き、鯖の味噌煮、アコウダイ、豚のショウガ焼き、
そして日替わり定食。メニューはいつもこれだけだ。

どれを食ってもうまい。素材にもこだわっているし、
板さんがしっかり仕込んで作っているのがわかる。

何を頼んでもお盆に収まりきらないくらいの
たくさんの小鉢がついてくる。
サラダ、炒め物、昆布、漬け物、冷や奴やソーメン、
その日によって数も内容も違う。これが楽しみ。

でもこの店の本領はここからだ。
食べ始めてからしばらくすると、おばちゃんが
「これ食べな」と次々とサービスをしてくれるのだ。

明太子や卵焼きをご飯の上にのせてくれたり、
唐揚げやフライなんかを出してくれる時もある。
お団子やお餅をくれたりするときもある。
コーヒーや自家製の梅酒なんかを出してくれる時もある。

食べきれないほど食わしてくれた上で、おばちゃんはいつも
「お腹いっぱいになった?」っと聞いてくる。満面の笑みで。

おばちゃんは僕らのお母ちゃんだ。
僕らは完全に子供になった気分でおばちゃんの店に行く。
あの店にいく親父たちはみんなそんな気分だ。

飯を食って対価を払う。店と客の関係。
でも、おばちゃんと僕らの間には
「かけがえのないもの」が確実に存在している。

僕はそれを信じている。
それこそが人の世の光だ。

いつしか僕らにとっておばちゃんは「かけがえのない存在」になった。
それは、おばちゃんが僕らを「かけがえのないもの」として
大事にしてくれたからだ。


戦略とかマーケティングとかブランディングとか、
そんなものは全部偉い人が後から考えた理屈だ。
すべては人間の愛情と情熱が通った後の轍に過ぎない。

おばちゃんはそのことを身を持って教えてくれる。

2010年10月12日火曜日

人生は短いんだ。

先日家の本棚の整理をしました。
不要な本を紙袋に入れて、ブックオフさんに持っていきました。

以前はあんなに食い入るように読んだ類の本を、
こんなにいとも簡単に手放せる自分が不思議でした。
大半はノウハウ本と自己啓発系の本です。

「○○日で新しい自分になる!」
「悩みがなくなる魔法の○○!」
「何もしないでお金がざくざく!」

この手の本がざっと20冊ほどありました。
今考えると不思議です。
そんなわけないやろ!と突っ込みたくなるタイトルにやられていた自分。

何かにすがりつきたかったんだろうなあ。
それなりに苦しかったということか。
いやいや覚悟がなかっただけだろうなあ。

・・・・・・・・・・・・・・・

ここ何年かずっと自己啓発ブームだったそうです。
それが過ぎ去って今度は哲学ブームだそうです。

ニーチェの超訳本が売れたり、
サンデル教授の講義がテレビで放送されて話題になりました。

次は宗教ブームになるそうです。
哲学は難しすぎるっているか、教養が要りますからね。
僕なんかもうちんぷんかんぷんで。一応哲学科卒業なんですが。
もっと勉強しといたらよかったと思いますよ。

それで次は教育ブームがくると思う。
もう自分はおいといて子供に期待するようになるんじゃないかと。

次から次へとブームはやってくる。
なんだかそんなのは馬鹿らしい。
馬鹿らしいと思いながら気がついたらブームに乗せられている自分がいる。

きちんと哲学書にもはまったし、AKB48も大好きだ。
それはなぜだろう。

思うに、多分、普段何も考えず、ぼーっと生きているからだ。
いや、そもそも「考える」という行為は、実は自分ではできない

「無」から考えていくなんてとてもとてもできない。
所詮は外から来る情報の組み合わせを「考える」と思っているにすぎない。

だからこそ、どんな情報のそばにいるかで人生が決まってしまうんだろう。
何も考えずにぼーっと生きていると世間に溢れている情報にやられてしまう。
やられてしまった結果、気がつけばブームにはまっていく。

そんなものに巻き込まれないために必要なことが「教養」だ。
「世界」と「歴史」を俯瞰できる能力。それを「教養」という。

「教養」をベースとした上で、生きるコンセプトを持つこと。
何のために生命を燃焼させるか、だ。

コンセプトを持っている人間は、ブームにやられない。
コンセプトが本当に必要な情報を見極めるからだ。

まあ、それが幸せの答えになるかどうか、
という問いは置いておいたとしても、

「人生は短いんだ。」という宇宙兄弟11巻の台詞に、
ガツンと響いた人は多いと思う。

僕はやられた。

2010年10月8日金曜日

銀座の街で

ウチの会社のオフィスは銀座にある。
中央通りから何本か筋を入ったところ。
毎朝新橋駅から歩いて通っている。

今朝は秋晴れのいい天気。
いつものように中央通りに出たところでいつもと違った光景を目にした。
所々に人だかりができて、道路が水浸しだった。

何事かと思ってよく見てみると、歩道を掃除しているのだ。
それもかなり本格的に、磨き上げていると言っていい。

通りのお店やオフィスの方々が目の前の歩道を洗っているのだ。
若い人もいれば、年配の人もいる。
いかにも店主然、経営者然とした人もいる。
みな手に手にモップやバケツ、洗剤などを持って熱心だ。

和菓子屋さんも、海外高級ブランドの人も、メガバンクの人も、
みんなそろって掃除をしている。

中には“KEEP CLEAN”と書かれたベストを着ている人がいる。
何かのイベントなのだろう。

素晴らしいと思った。
「愛(LOVE)は名詞ではなく、動詞だ」と教えてくれたのは、
七つの習慣のフランクリン・コヴィー氏だった。

お客様を大切にする気持ち、
この街を大切にする気持ち、
この国を大切にする気持ち、
そして、自分たちを大切にする気持ち−。

それらはすべて何らかの「行為」によって成り立っている。
「行為」によって経験となり、可視化され、伝わる力を持つ。
そして、「行為」によってまた「想い」が生まれる。

私も思わずゴミを拾った。
そして、今こうしてブログを書いている。

2010年10月1日金曜日

そこに愛があるか。

個人的な意見だけど、持続成長する企業には愛がある。

社員への愛、
同僚への愛、
お客様への愛、
地域への愛、
協力会社さんへの愛、
ご近所さんへの愛、、、

よく見ないと見えなかったりするけれど、
しっかりあるんだよなあ。

チラシの端っこの方とか、
玄関の靴箱の中だとか、
パソコンのモニターに張られた付箋とか、
社長室の扉とか、
エントランスの一輪挿しとか、
電話しながらお辞儀してる営業マンとか、

そんなところに愛があるんだよな。